板井圭介 氏(いたいけいすけ)
元相撲力士、小結・板井[日本]
(引退後、八百長に自らが関与していたと告発)
2018年 8月14日 死去享年63歳
板井 圭介(いたい けいすけ、1956年3月21日 - 2018年8月14日)は、大分県臼杵市出身で大鳴戸部屋に所属した大相撲力士。
本名同じ。
最高位は西小結(1989年5月場所)。
現役時代の体格は177cm、139kg。
得意技は突き、押し、叩き。
来歴=
初土俵まで=
5人兄弟の末っ子として生まれる。
臼杵市立福良西小学校、臼杵市立西中学校では主に野球をやっていた(主に右翼手だったという)。
相撲は中学生の頃は助っ人として大会に出場する程度であったが、当時実業団で活躍していた兄・義美を追って、大分県立大分水産高等学校(現・大分県立海洋科学高等学校)に入学してから本格的に相撲を始めた。
同高相撲部では1年生のときから県内有力校の3年生を次々に負かして評判となり、2年生になる頃には九州では負けなしで「大分に板井あり」と評判になった。
後年、板井自身は「高校生の頃が人生で一番稽古した時期」と振り返っていたという。
一方、助っ人として参加したラグビーの試合で膝を故障し、これには力士時代にも終始苦しんだという。
高校卒業を前に宮城野親方(元横綱・吉葉山)からの熱心なスカウトを受けたが、「プロの激しい稽古にはとてもついていけない」として断り、また多くの大学相撲部からの勧誘を受け、自身は駒澤大学への進学に前向きであったが実現せず、高校卒業後は、黒崎窯業に就職してサラリーマン生活を4年間送った。
同社相撲部では1976年・1977年の国体青年の ……
板井圭介さんが亡くなってから、6年と99日が経ちました。(2291日)