宇都宮忠綱(うつのみやただつな)
戦国武将[日本]
(大永7年7月16日没)
(ユリウス暦) 1527年 8月12日 死去享年31歳
宇都宮 忠綱(うつのみや ただつな、明応6年(1497年) - 大永7年7月16日(1527年8月12日))は、戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第18代当主。
宇都宮氏の中興の祖で知られる宇都宮成綱の嫡男。
母は那須資親の娘。
瑞雲院(足利高基妻)は姉妹である。
近年の研究では、尚綱・興綱は忠綱の弟という説もある。
岡本元綱という実子もいたといわれるが不詳。
通称は弥三郎。
生涯=
誕生=
明応6年(1497年)に下野国の戦国大名・宇都宮成綱の嫡男として、生まれる。
弥三郎を名乗った。
永正の内訌=
家中分裂=
享徳の乱以降、東国の戦乱は本格的となり、いよいよ戦国の乱世へと突入した。
宇都宮氏も祖父・宇都宮正綱や父・宇都宮成綱がそれまで自立的だった塩谷氏・笠間氏・上三川氏・壬生氏などの宇都宮一族を下野宇都宮氏当主への従属性を強めさせ、家臣化させることに成功している。
これらによって忠綱が生まれた頃には既に宇都宮家中と呼ばれる宇都宮一族とその家臣らから構成される家臣団が形成されていた。
宇都宮家中成立当初に力を持っていたのは芳賀氏であり、永正期には芳賀高勝が家中に強い影響力を有していた。
父・宇都宮成綱は室町時代の度重なる内乱で没落した下野宇都宮氏を立て直すために尽力し、積極的に勢力拡大していた。
永正期になると、永正3年(1506年)、古河公方足利政氏と息子の足利高基が家督を巡って対立する永正の乱が勃発。
父・成綱は古 ……