荷田春満(かだのあずままろ)
国学者、歌人[日本]
(元文元年7月2日没)
1736年 8月8日 死去享年68歳
荷田 春満(かだ の あずままろ、寛文9年1月3日〈1669年2月3日〉- 元文元年7月2日〈1736年8月8日〉)は、江戸時代中期の国学者・歌人。
通称は羽倉斎宮(はくら いつき)。
初名は信盛と称し、のちに東丸。
賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人とされる。
概要=
東丸神社
伏見稲荷大社の荷田春満旧宅
荷田春満の父は伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の社家で御殿預職の羽倉信詮(はくら のぶあき)であり、母は細川忠興の家臣深尾氏の娘貝子である。
荷田春満は契沖の『万葉代匠記』などを学び、国家意識を強くして古典および国史を学び古道の解明を試みた結果、『万葉集』『古事記』『日本書紀』や大嘗会の研究の基礎を築き、復古神道を提唱するなどの業績を残した。
享保13年(1728年)には、著作『
荷田春満が亡くなってから、288年と103日が経過しました。(105295日)