天明7年生まれ。備後国尾道の豪商、福岡屋の次女。福原五岳・八田古秀に学ぶ。また詩歌を能くし、頼山陽らと親交があった。尾道市福善寺本堂の襖絵「雪景松竹梅」などの作品がある。安政2年6月20日死去。69歳。名は豊子。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
平田玉蘊が亡くなってから、169年と111日が経過しました。(61838日)