葛原しげる(くずはらしげる)
童謡詩人[日本]
1961年 12月7日 死去享年76歳
葛原 しげる(くずはら しげる、1886年(明治19年)6月25日 - 1961年(昭和36年)12月7日)は、日本の童謡詩人、童謡作詞家、童話作家、教育者。
福山市名誉市民。
なお「しげる」の正しい漢字は𦱳(滋の旧体。
草冠でなくソ一と書く)。
ただし普段使用される漢字でないため、「しげる」とひらがなで表記することが多かった。
葛原「慈」名義での録音も存在する。
北原白秋門下の歌人・葛原繁とは別人。
経歴=
広島県安那郡八尋村(現在の福山市神辺町八尋)生まれ。
祖父は盲目の琴の名手、葛原勾当(諱重美)。
母(葛原勾当の次男の妻)は岡山県議会議長などを務めた三宅栗斎の兄弟。
1903年(明治36年)福山中学校(現・福山誠之館高校)卒業、年齢不足のため、翌1904年(明治37年)東京高等師範学校(現・筑波大学)英語科入学。
在学中から泰西名曲に詩をつけて合唱用に発表する。
卒業後は九段精華高等女学校教諭、同理事、跡見女学校(跡見学園)講師などで教壇に立ちながら、博文館編集局にも勤めて、『少年世界』他の編集に携わり自らも雑誌などに唱歌を発表する。
明治の終わりから全国の小学校に普及した『尋常小學唱歌』が堅苦しく、児童の心情や能力の発達段階に適さない等の批判が出ていたため小松耕輔、梁田貞と共に「大正幼年唱歌」(1915年~1919年)、続いて「大正少年唱歌」「昭和幼年唱歌」「大正少年唱歌」と順次刊行。
これらは吉丸一昌の「新作唱歌」 ……
葛原しげるが亡くなってから、62年と349日が経過しました。(22995日)