早川一光 氏(はやかわかずてる)
ラジオパーソナリティ、医師[日本]
(「わらじ医者」として親しまれる)
2018年 6月2日 死去享年95歳
早川 一光(はやかわ かずてる、1924年〈大正13年〉1月3日 - 2018年〈平成30年〉6月2日)は、ラジオパーソナリティ、医師(外科医)。
人物=
満州奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)生まれ、愛知県知多郡横須賀町(現在の東海市)育ち。
父は小児科の医者で、末っ子の次男として生まれる。
戸籍上の生年月日は1924年1月3日になっているが、早川の親によると実際は1923年12月26日であるとのこと。
これは親が生まれて数日で2歳(数え年)になることを嫌い、1月3日で届け出たためだという。
父が満鉄病院に勤めていた関係で4歳まで満州に住んだ後、家族で愛知県知多郡横須賀町に移住した。
当時のペチカの石炭の火とゴッゴッという石炭の音は晩年までなんとなく頭に残っていたとのこと。
1948年、京都府立医科大学卒業。
望月成人教授の第1外科に入局するも民主化運動のため半年で大学を追われた。
1950年、京都市上京区西陣に住民出資の白峰診療所を開設。
1958年、堀川病院に発展し、院長、理事長を歴任、1984年から1999年の辞任まで顧問を務めた。
「自分の体は自分でまもる」をスローガンに、住民主体の地域医療に専念してきた。
1980年、「わらじ医者 京日記 ボケを看つめて」(1979年1月、ミネルヴァ書房)で第34回毎日出版文化賞を受賞。
1982年にはこの本を題材にしたNHKドラマ人間模様『とおりゃんせ』(田村高廣主演 1982/7/4~8/1 全5回)が放映された。
1995年から2013年 滋賀 ……
早川一光さんが亡くなってから、6年と172日が経ちました。(2364日)