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前野曜子 氏(まえのようこ)

歌手[日本]

(元宝塚歌劇団員)

1988年 7月31日 死去心不全享年41歳

前野曜子 - ウィキペディアより引用

前野 曜子(まえの ようこ、1948年〈昭和23年〉1月25日 - 1988年〈昭和63年〉7月31日)は、日本の歌手。
ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカル。
宝塚歌劇団在籍中の芸名は弓 千晶(ゆみ ちあき)、その後の初期芸名は西丘 有理(にしおか あり)。
1980年前後の時期、俳優として劇場用映画・テレビ映画に出演した。
人物・来歴= 初めてのリサイタル(ヤクルトホール 1980年5月 ) 1948年(昭和23年)1月25日、東京都中央区銀座に生まれる。
1963年(昭和38年)4月、川村高等学校に進学するも、満17歳になった1965年(昭和40年)、同校を中途退学し、宝塚音楽学校に進む。
1967年(昭和42年)、第53期生として宝塚歌劇団へ入団、同年の星組公演『世界はひとつ』が初舞台公演の演目であった。
同期は54名、室町あかねや小松美保がおり、前野の当時の芸名は弓 千晶。
1968年(昭和43年)10月30日付で同劇団を退団した。
宝塚時代に知り合った亀渕友香とディスコ「赤坂ムゲン」で再会して上野義美がプロデュースしていたリッキー&960ポンドに参加、翌1969年(昭和44年)、「ワッハッハ」(CBSソニー)がヒットを記録する。
この頃は西丘 有里と名乗る。
1971年(昭和46年)、同グループと同じ事務所(小学館プロダクション)に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加、同年10月発売の「別れの朝」が大ヒットを記録する。
同作の原曲はウド・ユルゲンスの「夕映えのふたり」(ドイツ ……

前野曜子さんが亡くなってから、36年と113日が経ちました。(13262日)

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