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岩谷時子 氏(いわたにときこ)

作詞家詩人[日本]

2013年 10月25日 死去享年98歳

岩谷時子 - ウィキペディアより引用

岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28日 - 2013年(平成25年)10月25日)は、日本の作詞家、詩人、翻訳家。
本名:岩谷 トキ子(読み同じ)。
歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。
略歴= 越路吹雪と歩んだ半生= 1916年、京城府(現在のソウル特別市)生まれ。
「石見尊徳」と敬われた島根県大田市の篤農家・岩谷九十老は曾祖父である。
京城で岩谷が生まれた日に、京畿道の初代長官であった祖父は退官した。
父は東京高等商業学校(一橋大学の前身校)を出て貿易商社勤めで、母は明治のモダンな女性であった。
5歳の頃に兵庫県西宮市に移住。
西宮市立浜脇小学校、西宮市立安井小学校、西宮市立西宮高等女学校(現・西宮市立西宮高等学校)を経て、神戸女学院大学部に進学。
1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後に、宝塚歌劇団出版部に就職。
宝塚歌劇団の機関誌である『歌劇』の編集長を務めた。
編集部を訪れた当時15歳で宝塚歌劇団新人の越路吹雪と出会う。
2人は意気投合し、越路の相談相手となる。
越路が宝塚歌劇団を退団して歌手になりたいと相談すると、岩谷も退職を決意。
小林一三の奨めで越路とともに上京し、東宝文芸部所属となる。
越路の付き人を務めた。
その後は自らが作詞家として成功しても、自分の本業を聞かれるたびに「越路吹雪のマネージャー」と答えていた。
1951年から1963年までは東宝文芸部に所属。
会 ……

「君といつまでも」などを作詞し、シャンソン歌手越路吹雪さんの「愛の讃歌(さんか)」を訳詞した作詞家で文化功労者の岩谷時子(いわたに・ときこ、本名トキ子)さんが25日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳だった。葬儀は親族のみで行い、後日「しのぶ会」を開く。 韓国ソウル生まれで、兵庫県西宮市で育った。神戸女学院を卒業後、1939年宝塚歌劇団出版部入り。知り合った越路さんが51年に退団すると共に上京し、マネジャーとして支えた。越路さんの歌うシャンソンの大半を訳詞した。 作詞家としても数々のヒット曲を送り出し、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、加山雄三さんの「君といつまでも」、郷ひろみさんの「男の子女の子」など代表曲は数多い。  越路さんの死後、自らの人生の歩みを記した「愛と哀(かな)しみのルフラン」を出版。「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などミュージカルの訳詞も手掛けた。2010年に音楽・演劇界に功績のあった人を表彰する岩谷時子賞を創設。今年4月の第4回授賞式に出席していた。

岩谷時子さんが亡くなってから、11年と27日が経ちました。(4045日)