ポール・モーリア 氏Paul Mauriat
作曲家、指揮者、ピアニスト[フランス]
2006年 11月3日 死去享年82歳
ポール・ジュリヤン・アンドレ・モーリア(Paul Julien André Mauriat, 1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。
特に日本ではNHKラジオ第1放送などで頻繁にオンエアされ、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセルらと並ぶイージーリスニング界の著名音楽家となった。
来歴=
BEL AIR時代まで=
フランス南部マルセイユで郵便局員の父ヴィクトール、母クローディアとの間に4人兄弟の末っ子として生まれる。
6歳でアマチュア音楽家でもあった父親からピアノを習い、10歳でマルセイユ地方音楽院 に入学。
ソルフェージュ(1939年)とピアノ(1940年)をともに首席で修了して1941年に卒業。
その後、アマチュアジャズバンドを経て、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール(La Brasserie La Coupole)」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューし、翌年には同楽団の指揮者を兼任する。
1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキ が率いるオーケストラに創設メンバーとして加入、同年12月から9ヶ月間に亘るエジプト・ツアーに参加する。
1951年にパリ進出。
近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加するが、翌年帰郷し、同7月28日にイレーヌ・ボボと結婚。
ダンスホール「ル・ヴァンピング(Le Vamping à Marseille)」 でのオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGM ……
ポール・モーリアさんが亡くなってから、18年と18日が経ちました。(6593日)