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片岡七郎(かたおかしちろう)

海軍大将、男爵[日本]

1920年 1月11日 死去享年67歳

片岡七郎 - ウィキペディアより引用

片岡 七郎(かたおか しちろう、1854年1月12日〈嘉永6年12月14日〉 - 1920年〈大正9年〉1月2日)は、日本の海軍軍人。
海軍大将正二位勲一等男爵。
経歴= 薩摩藩士・片岡喜藤太の次男。
少年期のうちに薩英戦争や戊辰戦争が終わっており、西南戦争も兵学寮の生徒だったために参加していない。
まだ兵学寮も制度が固まっておらず、カリキュラムを修了した順に卒業させていた。
日高壮之丞大将と同時に入寮したものの、日高はそのまま兵学寮で練成を終えて第2期卒業を果たし、一方で片岡は、伏見宮兄弟(愛賢王→伏見宮博恭元帥と菊麿王→山階宮菊麿大佐)のドイツ留学に随員として1年半派遣されたため、日高より1期遅い第3期卒業生扱いとなっている。
第3期卒業生16名のうち大将に昇進したのは片岡のみだが、中将2人・少将3人を輩出している。
そのうちの一人、内田正敏中将の姪が片岡の妻である。
海兵生徒時代後列左4人目内田正敏、5人目山本権兵衛、9人目片岡、前列左端雪下熊之助、隣は上村彦之丞、(於サンフランシスコ) 伏見宮兄弟随員としてドイツに留学中にヨーロッパ列強の軍事情勢調査を始めるとともに、進んで列強軍人との交流を深めて語学の腕を実地で磨いた。
ドイツ語のみならずフランス語・英語も習得し、兵学校草創期の将官の中でも飛び抜けた語学力を身に着けた。
帰国後に兵学寮改め兵学校での練成を再開し、明治14年(1881年)11月に卒業(3期)、翌月に大尉まで昇進 ……

片岡七郎が亡くなってから、104年と315日が経過しました。(38301日)