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上村彦之丞(かみむらひこのじょう)

海軍大将、男爵[日本]

1916年 8月8日 死去享年68歳

上村彦之丞 - ウィキペディアより引用

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、1849年6月20日(嘉永2年5月1日) - 1916年(大正5年)8月8日)は日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人。
鹿児島出身。
海軍兵学校卒業。
最終階級は海軍大将。
従二位勲一等功一級男爵。
渾名は「船乗り将軍」。
経歴= 薩摩藩の漢学師範・上村藤一郎の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島城下平之町(現在の鹿児島県鹿児島市平之町)に生まれた。
鳥羽・伏見の戦い、会津戦争に参戦した。
海軍兵学寮に進んだが、在籍中に西郷隆盛が下野したことを受けて上村も鹿児島に帰った。
しかし西郷の説諭により兵学寮に戻る。
山本権兵衛、日高壮之丞らが行動を共にしている。
在学中の成績は不良で後に海兵2期から4期となるべき生徒全員が受けた試験で最下位となった。
雲揚艦乗組みとなって再教育を受けた後、少尉補試験に合格。
4期生として卒業したが、席次はやはり最下位であった。
しかし将官となってからは、海軍教育本部長や、軍務局長を務めるなど、軍政面でも活躍した。
また常備艦隊司令官として指揮した兵学校30期の遠洋航海は、日本が司令官を据えて行う練習艦隊のはじまりである。
連合艦隊首脳部。
左から舟越楫四郎、島村速雄、東郷平八郎、上村彦之丞、加藤友三郎、秋山真之 日清戦争では防護巡洋艦秋津洲の艦長として出征。
第一遊撃隊に属し、豊島沖海戦では砲艦操江を降伏させた。
これは日本海軍が敵軍艦を降伏させた ……

上村彦之丞が亡くなってから、108年と84日が経過しました。(39531日)

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