若島権四郎(わかしまごんしろう)
相撲力士・第21代横綱[日本]
1943年 10月23日 死去脳溢血享年68歳
若嶌 權四郎(わかしま ごんしろう、1876年〈明治9年〉1月19日 - 1943年〈昭和18年〉10月23日)は、千葉県市川市原木出身で楯山部屋(東京)、中村部屋(大阪)に所属した大相撲力士(大坂相撲)。
第21代横綱。
本名は加藤 権四郎(かとう ごんしろう)(旧姓:高橋)。
大坂相撲で最初の横綱。
過去にも大坂相撲で横綱土俵入りを行った者はいるが、いずれも吉田司家以外の免許によるもので、公認代数には含まれていないため、現在に至るまで正式に認められている大坂横綱としては最初のものである。
来歴=
東京相撲の元大関若嶌久三郎の楯山部屋へ入門して、松若大五郎の四股名で1890年に前相撲から初土俵を踏む。
1891年に岐阜県大垣を巡業中に濃尾地震と遭遇し、若島を助け出した兄弟子の楯甲久四郎は崩れた家屋の下敷きになり圧死した。
その後、1896年1月に入幕した際に、濃尾地震で亡くした兄弟子の四股名だった楯甲へ改名し、前頭7枚目まで昇進した。
1897年から若島(当初は若島大五郎)を継いだが、同年から天然痘を発症して巡業でも勝てなくなり、さらに色男で芸者から大変な人気があったことから人気に溺れて成績も上がらず、1898年に脱走・大坂相撲へ加入した。
当時大坂相撲には小結若嶌幸右エ門がおり、通常であれば四股名が重複する際には格下が改名して譲る所を、格上である小結若嶌が秀の海と改名する程期待を集めた。
(秀の海はのち大関)
大坂相撲加入後は心機一転 ……
若島権四郎が亡くなってから、81年と30日が経過しました。(29615日)