中原親能(なかはらちかよし)
御家人[日本]
(承元2年12月18日)
(ユリウス暦) 1209年 1月25日 死去享年67歳
中原 親能(なかはら の ちかよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての下級貴族、鎌倉幕府の文官御家人。
十三人の合議制の一人。
中原氏庶流貞親流の広季の実子または養子。
弟に大江広元。
鎌倉幕府初代将軍源頼朝の側近であり、頼朝の代官として東西に奔走し、朝廷と幕府の折衝に努め、幕府の対公家交渉で大きな功績を果たした。
また、大友氏が九州に確固たる地盤を築き上げることができたのも、その初代大友能直の養父である親能からの相続に起因しているという説がある。
出自=
『尊卑分脈』によれば、明経道の家系である中原氏出身の中原広季の実子で、大江広元とは兄弟とされる。
一方、『大友家文書録』によれば、実父は参議・藤原光能であるが、母が前・明法博士の中原広季の娘だったので、外祖父の養子になったのだという。
なお、第4代将軍九条頼経の側近である大外記中原師員(幕府の高級官僚摂津氏の遠祖)は、従兄弟の師茂の子である。
生涯=
康治2年(1143年)に誕生。
治承4年(1180年)権中納言・源雅頼の家人として在京していたが、頼朝挙兵から4ヶ月後の12月6日早朝に平時実(平時忠の子)が親能を尋問するために雅頼の邸宅を捜索した。
親能は前夜に宿直をしていたがすでに出奔しており、父の中原広季にも使者を送ったが、見つけることができなかった。
捜索の理由は、親能が幼時に相模国の住人に養育されて成人し、頼朝と「年来の知音」 ……