島田章三 氏(しまだしょうぞう)
洋画家[日本]
2016年 11月26日 死去膵臓がん享年84歳
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。
愛知県立芸術大学元学長。
兄は歌人の島田修二。
概要=
神奈川県横須賀市生まれ。
父の英之は長野県の出身で、京都高等工芸学校図案科を卒業後、浦賀船渠の客船インテリアデザイナーを経て横須賀市議会議員、同市議会副議長を歴任、1970年には横須賀市の市政功労者に選ばれている。
また、京都滞在中は黒田重太郎にデッサンを学んだという。
母の敏子は斎藤茂吉に師事し、「上泉鶴」の名で『アララギ』に投稿していた。
ヨーロッパ留学中にピカソやブラックらキュビズム画家の作品に触れ、「キュビズムを日本人の言葉で翻訳」することを自らの課題として見出した。
その活動の成果として生まれたのが「かたちびと」と呼ばれる独特の人物表現である。
教え子に奈良美智などがいる。
経歴=
1933年7月24日、島田英之・敏子の三男として神奈川県三浦郡浦賀町大津(現在の横須賀市大津町)に生まれる。
兄弟は陽一、修二、章三、迪男、嘉寿江の四男一女であった。
1940年4月、大津尋常高等小学校(現・横須賀市立大津小学校)に入学。
1943年、肺炎から肋膜炎になり1年間休学。
このとき病室で見た幻覚が後の作品『炎』に生かされている。
9月、戦争の激化に伴い、祖父のいる長野市に疎開する。
1945年10月、疎開先から横須賀に戻る。
1946年4月、大津国民学校高等科に入学。
1947 ……
島田章三さんが亡くなってから、7年と360日が経ちました。(2917日)