リーガル天才 氏(りーがるてんさい)
漫才師、リーガル天才・秀才[日本]
2004年 12月22日 死去享年81歳
リーガル天才・秀才(リーガルてんさい しゅうさい)は、昭和中期~平成初期に活躍した、高峰(玉川)一門の漫才コンビ。
解説=
1952年、『曽我天才・坂東秀才』名義でコンビ結成。
1956年、漫才の目標と仰いでいたリーガル千太・万吉から『リーガル』の屋号を許され現名に。
寄席の高座やテレビ・ラジオの演芸番組で活躍。
とぼけた味と鋭い社会批評で人気を博す。
1970年10月13日、放送業界の芸人軽視の風潮を不満として、テレビ・ラジオ出演拒否を宣言(1980年に宣言解除)。
漫才の性格上、舞台で相手の奥さんの悪口を言って、コンビ仲が悪くなることをさけるため、お互いの家族同士の交流はしない主義だった。
また、発声練習では川の両岸から相手方に聞こえるように練習をし声を鍛えた。
1988年に第43回文化庁芸術祭賞を受賞し、1991年にはリーガル天才が紫綬褒章を受章した。
メンバー=
リーガル天才(リーガル てんさい、1924年2月26日 - 2004年12月22日、80歳没)
神奈川県出身。
本名:曽我 忠一(そが ちゅういち)。
浅草軽演劇の出身で、1943年に「笑いの王国」で初舞台。
漫才協団第4代会長(1993年~1998年)。
晩年はパーキンソン症候群に冒され、漫才協団会長職は内海桂子を後任とし引退。
リーガル秀才(リーガル しゅうさい、1926年10月29日 - 2008年10月10日、心不全のため死去。
81歳没)
東京都出身。
本名:高橋 章(たかはし あきら)。
芸能界での有数の将棋 ……
リーガル天才さんが亡くなってから、19年と334日が経ちました。(7274日)