川喜田半泥子(かわきたはんでいし)
陶芸家、実業家[日本]
1963年 10月26日 死去享年86歳
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。
「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称される。
本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は「善太郎」。
号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等。
実業家としては、河芸銀行、一志銀行、三重共同貯蓄銀行、百五銀行各頭取等を務めた。
前半生・財界人として=
大阪市東区本町で生まれ、津市の川喜田家の本宅で育つ。
15代続く伊勢の豪商の家に生まれる。
裕福な家庭で育ったが、祖父や父は半泥子の生後まもなく他界し、1歳で川喜田家16代当主となり、久太夫(政令)を襲名。
母は18歳であったため、その若さで未亡人となるのは不憫と実家に帰され、半泥子は祖母「政」の手によって育てられた。
また筆頭分家の川喜田四郎兵衛からも教育を受け、三重県尋常中学(現在の三重県立津高等学校)に入学、1900年(明治33年)東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、1901年(明治34年)23歳で四郎兵衛の長女・為賀と結婚している。
1903年(明治36年)に百五銀行の取締役に就任。
1919年(大正8年)に第6代頭取となり、1945年(昭和20年)2月まで頭取を務めた。
頭取としては、「安全第一」をモットーに健全経営を行う一方で地元の中小銀行を買収・合併していき、1922年には吉田銀行、1925年には河芸銀行、1929年には一 ……
川喜田半泥子が亡くなってから、61年と27日が経過しました。(22307日)