甘粕景持(あまかすかげもち)
戦国武将[日本]
(慶長9年6月26日没)
1604年 7月22日 死去
甘粕 長重(景持)(あまかす ながしげ・(かげもち))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
上杉氏の家臣で上杉四天王、越後十七将、越後二天、越後三元老の一人。
越後国飯塚桝形城主、越後国鷹射城主、越後国坂戸城主、越後国三条城主。
姓は「甘糟」と表記される場合もある。
妻は黒金上野介景信の妹。
永禄10年(1567年)に死去。
妻の戒名は、真耀院殿光室寿円大姉。
出自=
甘粕氏は、以下のような諸説がある。
新田氏の一族で上野国(群馬県)に住したが、新田氏の衰退後、上杉・長尾両氏に仕えたという説(『清和源氏甘粕家系譜』『源姓天河瀬氏系譜』『上杉謙信伝(布施秀治著)』『姓氏家系大辞典(太田亮著)』)
武蔵七党猪俣党の流れをくむ小野姓甘粕氏は新編武蔵風土記に武蔵国甘粕の甘粕野次廣忠として登場する(『姓氏家系大辞典(太田亮著)』)
新編相模風土記鎌倉郡條に、甘粕土佐守平朝臣清忠の名が文明9年(1477年)に、甘粕佐渡守平朝臣長俊が天正年間に大船村里正甘粕の桓武平姓甘粕氏として登場する(『姓氏家系大辞典(太田亮著)』)
近江国番蓮華寺過去帳に甘粕三郎左衛門尉清経が登場する(『姓氏家系大辞典(太田亮著)』)
上田庄の出身で、長尾為景に仕え、その子である景虎(上杉謙信)に仕えた(『温故の栞』・『 上杉三代日記』上杉資料集下)
甲信国境白峰山中に住し、狩猟を生業としていたが、上杉謙信に見出され家臣となった(『 ……
甘粕景持が亡くなってから、421年と150日が経過しました。(153920日)


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