河田長親(かわだながちか)
戦国武将[日本]
(上杉謙信家臣、天正9年3月24日没)
(ユリウス暦) 1581年 4月27日 死去
河田 長親(かわだ ながちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
越後国の戦国大名・長尾氏(上杉氏)の家臣。
古志郡栖吉城城主。
近江国出身で、上杉謙信上洛の際に召し抱えられ、奉行職や越中戦線の指揮などで活躍した。
生涯=
元は近江国に住む伊豆守入道(河田元親)という男の息子だったといわれている。
伊豆守入道は藤原氏の末裔というが定かではない。
なお、生年には天文9年(1540年)説もある。
なお、近江川田氏(後述)の系譜によれば、平城天皇の末裔と称し、南北朝時代に近江国野洲郡河田郷の領主になったと伝えている。
一時、井上鋭夫による信濃国出身説も出されていたが、近江国野洲郡河田郷の比定地である滋賀県守山市川田町において1986年から1992年にかけて行われた発掘調査において武家の城館を含めた中世遺構が確認されたこと、現地に河田氏の末裔とみられる川田姓の住民(近江川田氏)が現存し、彼らの祖先が上杉家臣の河田氏と関係していたとする史料を伝えていることから、河田元親・長親父子は近江出身とみられる。
永禄2年(1559年)、長尾景虎(上杉謙信)2度目の上洛の際、日吉大社で稚児をしていた長親は、景虎にその美貌と才能を認められて側近として取り立てられ、奉行職を歴任した。
智勇兼備の武将であったため重用され、上杉氏を相続した謙信にならい同様に改姓した上杉景信の跡を受けて古志長尾氏の名跡も与えられたが、長親 ……