市川喜一 氏(いちかわきいち)
映画プロデューサー[日本]
2006年 3月31日 死去脳幹出血享年84歳
市川 喜一(いちかわ きいち、1923年(大正12年)6月26日 - 2006年(平成18年)3月31日)は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。
俳優としての芸名は黒田潤。
群馬県高崎市出身。
妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)。
人物・来歴=
海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した。
1946年に早稲田大学法学部を卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演。
デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。
1952年に大映を退社してフリーとなる。
シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される。
同構想は水木洋子脚本により1955年に『ここに泉あり』として映画化され、市川は「企画者」として共同製作者にクレジットされた。
以降、フリーの映画プロデューサーとして劇映画制作に携わる。
今井正、勅使河原宏、山本薩夫、篠田正浩らの諸監督と組み、大作や問題作を制作した。
1970年の大阪万博では、富士グループのパビリオンをプロデュースした。
1972年ごろ芸苑社に参加。
主なプロデュース作品に、今井監督「キクとイサム」、勅使河原監督「砂の女」、豊田四郎監督「恍惚の人」、山本監督「華麗なる一族」「不毛地帯」、市川崑監督「犬神家の一族」など。
2006年3月31日、脳幹出血のため東京都新宿区の病院で死 ……
市川喜一さんが亡くなってから、18年と235日が経ちました。(6810日)