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大槻義一 氏

映画監督[日本]

2011年 12月16日 死去一酸化炭素中毒享年86歳

大槻 義一(おおつき よしかず、1927年7月26日 - 2011年12月)は、日本の映画監督。
経歴[編集] 東京都中野区出身。
1951年に松竹大船撮影所に助監督として入社。
同期は今村昌平ら8人。
同期生で同期会の二十五時グループを結成した。
1952年の『カルメン純情す』から木下惠介の木下組の助監督として献身的に働き、1960年の『笛吹川』まで全ての木下作品で助監督を務めた。
1962年に『流し雛』で監督デビュー。
この初監督作品の脚本は木下が書いている。
1963年1月27日に公開されたテレビドラマ『七人の刑事』の映画版の監督を担当した。
1966年に松竹を離れてフリーとなり、以後は1980年代までテレビドラマを監督した。
2011年12月16日、連絡が取れなくなったことを訪問介護員が警察に相談し、東京都新宿区新宿の自宅マンションを訪れた警視庁四谷署員が、室内で妻とともに死亡しているのを発見した。
血を吐いた痕跡と、倒れた際にできたと思われる傷以外は目立った外傷がなく、病死とみられる。
当初は病死とみられたが、現場検証と検死解剖の結果、警告灯が点いていたガスストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒であろうという事が判明した模様。
ロックシンガー・筋肉少女帯のメンバーである大槻ケンヂは甥に当たる。
監督・演出作品[編集] 映画[編集] 流し雛(1962年) 背くらべ(1962年) 僕チン放浪記(1962年) 七人の刑事(1963年) 男の影(1964年) 昨日のあいつ今日のおれ ……

推定関連画像

大槻義一さんが亡くなってから、12年と224日が経ちました。(4607日)

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