クシシュトフ・キェシロフスキ 氏Krzysztof Kieślowski
映画監督[ポーランド]
1996年 3月13日 死去心臓発作享年56歳
クシシュトフ・キェシロフスキ (Krzysztof Kieślowski, 1941年6月27日 - 1996年3月13日) は、ポーランドの映画監督。
晩年はフランスでも活動した。
来歴=
1941年6月27日、ワルシャワで生まれた。
エンジニアだった父の仕事の影響で、幼少期は小さな街を転々とする生活を送った。
16歳の時に消防士の養成学校に通っていたが、3ヶ月で退学。
その後、舞台演出家を志し、1957年にワルシャワの演劇専門学校に入学した。
在学中に映画監督への道を志し、卒業後にロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダなどを輩出したウッチ映画大学に入学した。
1966年に初の短編映画を製作。
以後、1980年までにドキュメンタリーを中心に21本もの短編映画を製作した。
1976年、初の長編劇映画『傷跡』を発表。
1979年の2作目『アマチュア』は同年のモスクワ国際映画祭で金賞を受賞。
翌1980年にはシカゴ国際映画祭でゴールデン・ヒューゴ賞を受賞した。
同作はクシシュトフ・ザヌーシの『保護色』(1977年)などとともに、当時のポーランド映画界における「モラルの不安の映画」の代表作とされている。
1981年の『偶然』は検閲による上映禁止処分を受け、6年後の1987年に公開された。
その後、1989年から1990年にかけて、聖書の十戒をモチーフとした10編からなるテレビシリーズ『デカローグ』を製作。
第46回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞し、スタンリー・キューブリックから激賞された ……
クシシュトフ・キェシロフスキさんが亡くなってから、28年と253日が経ちました。(10480日)