秋山光彪(あきやまみつたけ)
国学者[日本]
(天保3年2月6日没)
1832年 3月8日 死去享年58歳
安永4年生まれ。豊前小倉藩士。藩主の側近となり,晩年は京都留守居役をつとめた。村田春海に和歌をまなび,「桂園一枝評」をあらわして香川景樹の歌集を批判した。没後「秋山翁家集」が刊行された。天保3年2月6日死去。58歳。本姓は原。字は子弸,士弥。通称は岩之助,庄兵衛。号は梨園,福堂。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
秋山光彪が亡くなってから、192年と257日が経過しました。(70385日)