ハワード・ホークスHoward Hawks
映画監督[アメリカ]
1977年 12月26日 死去享年82歳
ハワード・ウィンチェスター・ホークス(英語: Howard Winchester Hawks, 1896年5月30日 - 1977年12月26日)は、アメリカ合衆国インディアナ州出身の映画監督。
生涯=
インディアナ州ゴーシェン出身で、生家は製紙業はじめ不動産や石炭会社など地元経済の大黒柱として知られる一族で、母親の家系もウィスコンシン州の産業界の重鎮で、裕福な家庭に長男として生まれる。
学生時代はあまり成績は良くなかったが、1914年にコーネル大学に進学し、機械工学を専攻する。
この頃、祖父から買って貰ったレーシング・カーに乗って、カリフォルニアのアマチュア・レースに参加していた。
1916年、夏休みの間のアルバイトとして、レーサー仲間のヴィクター・フレミングの紹介によりパラマウント映画の前身であるフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー・スタジオの小道具係のアルバイトをやるようになる。
また建築の素養もあったことから舞台装置も手掛けて、その働き振りからダグラス・フェアバンクスやメアリー・ピックフォードの目にとまり、学生のまま助監督として取り立ててもらうようになった。
1917年にはピックフォード主演の『小公女』の幾つかのシーンを監督するなど、ハリウッド入りして美術部門で重用される。
しかし、大学在学中に第一次世界大戦が勃発し、ホークスはアメリカ陸軍航空部に入隊、飛行部隊の教官の職務につく。
除隊後は大学を卒業し、弟のケネスと共に晴れて正式に映画界入 ……
ハワード・ホークスが亡くなってから、46年と343日が経過しました。(17145日)