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小川又次(おがわまたじ)

陸軍大将、子爵[日本]

1909年 10月20日 死去享年62歳

小川又次 - ウィキペディアより引用

小川 又次(おがわ またじ、嘉永元年7月24日(1848年8月22日) - 明治42年(1909年)10月20日)は、明治時代の陸軍軍人。
陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。
幼名、助太郎。
諱は長利。
経歴= 小倉藩士・小川兼宣の長男。
幼名は助太郎。
江川塾で学んだ後、小倉藩士として長州征討に出征した。
明治3年(1870年)7月、兵学寮生徒となる。
明治4年(1871年)1月、権曹長心得となり、少尉心得を経て、明治5年(1872年)2月に少尉に昇進。
1874年(明治7年)4月、台湾征討軍に従軍。
1875年(明治8年)1月、東京鎮台歩兵第1連隊付となる。
1876年(明治9年)4月、歩兵第13連隊大隊長に就任し、1877年(明治10年)2月、西南戦争に出征。
同年4月に戦傷を受け、同月、少佐に昇進。
1878年(明治11年)3月、熊本鎮台参謀副長となり、参謀本部管西局員に異動。
1880年(明治13年)4月から7月まで清国に派遣された。
1881年(明治14年)2月、中佐に進級し大阪鎮台参謀長に就任。
1882年(明治15年)3月、広島鎮台参謀長に転じ、1884年(明治17年)10月、大佐に進級し歩兵第8連隊長に着任。
1885年(明治18年)5月、参謀本部管西局長に転じ、同年7月、同第2局長に就任。
この年、日本陸軍大学校で教官クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルの講義を児玉源太郎とともに聴講し、メッケルから「児玉、小川が優秀」と言われるほどであった。
また小川は作戦立案能力に長けていたため、川上操六から上杉 ……

小川又次が亡くなってから、115年と32日が経過しました。(42036日)