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太刀山峯右エ門(たちやまみねえもん)

相撲力士・第22代横綱[日本]

1941年 4月3日 死去享年65歳

太刀山峯右エ門 - ウィキペディアより引用

太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、現在の富山県富山市吉作(出生時は石川県婦負郡吉作村)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。
第22代横綱。
本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。
経歴= 幼少期~入門= 1877年に呉羽丘陵の近くの、農業の傍ら製茶業、豆腐業を営む老本治助の次男として生まれた。
秀業小学校(現・富山市立呉羽小学校)卒業とされている。
老本家の茶は品評会で常に一等で、幼い頃から茶葉の手揉みを手伝っていたことから怪力が付き、これによって針のごとく鋭い優良品を生み出し、茶の品評会では必ず優勝したという。
兵役検査での優秀な成績が評判になり、友綱が貴重な逸材として欲しがったが本人は相撲に興味が無く、実家も長男を早く失っているので猛反対された。
諦め切れない友綱は板垣退助や西郷従道、さらには警察署長や当時の富山県知事である金尾稜厳を動員して、1899年に友綱部屋へ入門させた。
初土俵以降= 肩の故障や流感や脚気などの影響で、入門1年後の1900年5月場所に幕下付け出しで初土俵を踏む。
四股名は地元・富山県の立山と常陸山谷右エ門に迫れという願いを込めて板垣退助によって「太刀山」と命名された。
下半身の硬さに難があることから四つ相撲には向かず、徹底して突き押しを磨いた。
これが功を奏して順調に実力を付けていったが、その強さゆえに友綱一門には太刀山と稽古できる力士は ……

太刀山峯右エ門が亡くなってから、83年と232日が経過しました。(30548日)

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