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陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう)

相撲力士・第12代横綱[日本]

1903年 10月21日 死去享年75歳

陣幕久五郎 - ウィキペディアより引用

陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう、文政12年5月3日(1829年6月4日) - 明治36年(1903年)10月21日)は、出雲国意宇郡意東村(現・島根県松江市東出雲町下意東)出身で秀ノ山部屋(入門時は滝登部屋)に所属した大相撲力士。
第12代横綱(江戸最後の横綱)。
本名は石倉 槇太郎(いしくら まきたろう)。
「負けず屋」と言われた強豪で、明治維新の後に大阪頭取総長となり横綱の代数を創案した。
来歴[編集] 文政12年5月3日(1829年6月4日)に、出雲国意宇郡意東村の農家に生まれる。
14歳だったある日、兄と友人の3人で小舟に乗って海釣りを楽しんでいると、昇った月が3個に分割してその間に3個の星が出ているのが見え、左から右へ旋回する様子が15分ほど見られた。
3人の中で自分だけが見えたため、愼太郎は以前から好きだった相撲で名を挙げなければならないと決心して力士を志した。
弘化4年(1847年)、大坂相撲の巡業へ飛び入り参加して自信を持ち、尾道の土地相撲へ加入してその力量を認められると同時に、黒縅槙之助と名乗って同郷の力士・初汐久五郎の弟子となった。
嘉永元年(1848年)に初汐が没すると、巡業に飛び入り参加したことがある大坂相撲に戻り、朝日山四郎右衛門の門人となって嘉永3年(1850年)11月場所に初土俵を踏む。
安政4年(1858年)1月場所で新入幕を果たすと、江戸相撲へ加入して秀ノ山部屋に所属する。
当初は徳島藩の抱え力士として出発したが、途中で松江 ……

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陣幕久五郎が亡くなってから、120年と280日が経過しました。(44110日)