曽我部和恭 氏(そがべかずゆき)
声優、俳優[日本]
(旧芸名・曽我部和行)
2006年 9月17日 死去食道がん享年59歳
曽我部 和恭(そがべ かずゆき、1948年4月16日 - 2006年9月17日)は、日本の声優、俳優、演出家、ナレーター、音楽家。
旧芸名および本名は曽我部 和行(読み同じ)。
略歴
生い立ち
千葉県船橋市で戦国武将・長宗我部氏の末裔(まつえい)の家系であるサラリーマンの家に出生。
小学校6年生の頃東京都に転居し、千代田区立神田一橋中学校、東京都立一橋高等学校を経て、敬愛大学経済学部へ入学。
中学2年からエレキギターで作曲するようになり、歌手を目指して大学を4年で中退して日本テレビタレント養成所へ入る。
演技を学ぶうちに芝居への意欲が涌き、22歳でテアトル・エコーの養成所に加入。
当時はバンドを最初に結成したのは高校2年生の時であり、クラスにギターの上手い人物がいた。
あのころにしてみれば『パイプライン』、『ダイヤモンドヘッド』などは最高のテクニックを要する曲だったわけであり、ギターを見ずにほかの人物を見ながら弾いていた。
あのころは「こいつは天才だ」と思い、悔しくてやり始めたわけだったという。
ギタリストになろうとは全然思っておらず、人間の指が5本しかないが、弦が6本もあることから、「こいつは人間が弾けるもんじゃない」と思っていた。
ただし「とにかく何曲か覚えたいな」と思っていたという。
セミプロのような形でバンドをしていた。
しかしテクニック的な問題でリズム&ブルースまでついて行けたが、ニューロックにな ……
曽我部和恭さんが亡くなってから、18年と65日が経ちました。(6640日)