渡辺喜恵子 氏(わたなべきえこ)
作家[日本]
1997年 8月8日 死去享年84歳
渡辺 喜恵子(渡邊 喜惠子、わたなべ きえこ、1913年(大正2年)11月6日 - 1997年(平成9年)8月8日)は日本の小説家。
本名は木下喜惠子。
秋田県出身者として初めて、直木賞を受賞した。
略歴=
秋田県仙北郡檜木内村(後の西木村、現:仙北市)生まれ。
2歳の時、父・栗生沢米太郎が鷹巣町(現:北秋田市)に木材工場を創業し転居する。
能代高等女学校(現:秋田県立能代北高等学校)卒業後の1931年(昭和6年)に上京。
1935年(昭和10年)、画学生・渡辺茂との結婚のため広島へ転地する。
しかし、1939年(昭和14年)、25歳のときに夫が病死。
1942年(昭和17年)、亡き夫のことを綴った短編小説集『いのちのあとさき』を刊行し創作活動に入る。
1944年(昭和19年)春、母の故郷、岩手県二戸郡石切所村(後に福岡町を経て二戸市)に疎開。
戦後、再上京、同人誌「明日」「三田文学」に拠って文学活動を行う。
1959年(昭和34年)『馬淵川』で第41回直木賞受賞。
『みちのく子供風土記』には幼少時の鷹巣のことなども記載されている。
長編三部作『原生花園』のほかに、画家青木繁を描いた『海の幸』がある。
主な作品に『プルメリアの木陰に』、『南部女人抄』、『啄木の妻』、長編歴史小説『南部九戸落城』などがある。
1983年(昭和58年)に「秋田の文学振興に役立ててほしい」との意向のもと、1千万円を秋田魁新報社に寄託。
秋田魁新報社は翌1984年(昭和59年)、創刊110年を記 ……
渡辺喜恵子さんが亡くなってから、27年と105日が経ちました。(9967日)