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ジュール・ロマンJules Romains

作家詩人[フランス]

(ユナニミスム文学運動の主導者)

1972年 8月14日 死去享年88歳

ジュール・ロマン - ウィキペディアより引用

ジュール・ロマン(Jules Romains, 1885年8月26日 - 1972年8月14日)は、フランスの作家、詩人、ユナニミスム文学運動の主導者。
本名、ルイ・アンリ・ジャン・ファリグール(Louis Henri Jean Farigoule)。
生涯= 1885年、オート=ロワール県、サン=ジュリアン=シャトゥイユに生まれ、直後に、小学校教員の父の転勤でパリに移り、のち、コンドルセ高等中学校(Lycée Condorcet)に学んだ。
1902年高等師範学校(École Normale Supérieure)に進み、哲学の大学教授資格を得て1909年卒業後、1919年まで各地の教職を務めた。
高等中校時代、雑踏の中でユナニミスム(Unanimism 、『一体主義』)を感得したという。
高等師範学校時代の1906年、ユナニミスムの小説『新しい町』を出版し、また、ジョルジュ・デュアメル、シャルル・ヴィルドラックら『アベイ派』と、親交を結んだ。
デュアメルらは、1906年から1908年、パリ南東クレテイユの『クレテイユ僧院』(Abbaye de Créteil)に籠もって理想主義的文学共同生活を営み、『アベイ派』と呼ばれた。
このユナニミスムに基づき、詩集『一体生活』(1908年)、 『歌と祈り』、小説『ある男の死』(1911年)、『仲間たち』(1913年)などを執筆。
1922年 - 1929年の三部作小説『プシュケ』、1923年の、戯曲『ル・トルーアデック氏の放蕩』、戯曲『クノック』などで、文名を確かにした。
1914年の第一次世界大戦勃発を契機に、政治問題にも関心を抱き、1927年、「国民総動員」的法律への抗議運動に ……

ジュール・ロマンが亡くなってから、52年と99日が経過しました。(19092日)

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