江森月居(えもりげっきょ)
俳人[日本]
(文政7年9月15日没)
1824年 11月5日 死去享年69歳
江森 月居(えもり げっきょ、1756年(宝暦6年)- 1824年11月5日(文政7年9月15日))は、江戸時代後期の俳人である。
名は史一。
別号に竹巣、些庵、三巣園、桂川等がある。
経歴・人物=
京都の生まれ。
安永の頃、荒木田久老及び村田春門の門人として国学を学び、あわせて与謝蕪村の門人となる。
俳諧は入門後に頭角を現し、1776年(安永5年)高井几董と共に入集する。
蕪村からは「月居、夜半亭門人、俳諧の好士なり」と評された。
蕪村の死後、几董からも「風流なる哉三巣園、達者なる哉月居」と賞賛された。
その後は宗匠として畿内を中心にその勢力を広めた。
1790年(寛政2年)二条家俳諧において右方宗匠に就き、「俳諧之達者中興之器」の称を許された。
この時、二条家に30両の賄金を奉納したという。
大阪に移った後は摂北・両丹・若狭地方に勢力を拡大するが、月居の密通を告発する捨文によって一時身を隠すこともあった。
墓所は左京区金福寺。
当初は蕪村の影響を受けた格調高さが見られたが、寛政文化期には当時流行した俳風へと変化した。
ただし、当時の主流にはならなかった。
一方で「発句はともかく、日本の宗匠は月居」と江戸で評判となり、鈴木道彦、尾張の士朗と共に大宗匠として名を馳せた。
付合の技量に優れ、擬古文調の俳文にも優れた。
主な著作物=
句集=
『月居七部集』- 没後の1828年(文政11年)刊行。
著書=
『夜明かし』
江森月居が亡くなってから、200年と15日が経過しました。(73065日)