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高井几董(たかいきとう)

俳諧師[日本]

(寛政元年10月23日没)

1789年 12月9日 死去享年49歳

高井 几董(たかい きとう、寛保元年〈1741年〉 - 寛政元年10月23日〈1789年12月9日〉)は、江戸時代中期の俳諧師。
幼名は小八郎、前号雷夫、別号に晋明・高子舎・春夜楼・塩山亭・三世夜半亭など。
経歴= 京都の俳諧師・高井几圭の次男として生まれる。
几圭は早野巴人に入門し、京俳壇で名を馳せた人物だった。
幼少期から俳諧に親しみ、父の記念集『はなしあいて』に初入集。
父の死後、几の字を受け継いで「几董」と号した。
明和7年(1770年)30歳の時、与謝蕪村に入門した。
蕪村は夜半亭三世を継がせる意向だったとされる。
1772年(明和9年)初撰集『其雪影』刊行、その後も久村暁台らと『あけ烏』『続明烏』を刊行し、中興俳壇の絶頂期をもたらした。
安永7年(1779年)には蕪村と二人で大坂・摂津・播磨・瀬戸内方面に吟行の旅に出た。
天明3年(1784年)の蕪村死後は追悼集『から楢葉』『蕪村句集』を編んだ。
天明5年(1785年)、早野巴人の『一夜松』の続編を編もうとした蕪村の遺志を継ぐために江戸に下向し、大島蓼太の推挙により三世夜半亭を継承した。
天明6年(1786年)に『続一夜松』前後集を刊行した。
天明8年(1788年)京都の大火に見舞われて以来、門人の間を転々とした。
寛政元年(1789年)歿、享年49。
作品= 編著作集= 『日発句集』 『初懐紙』 『其雪影』 『あけ烏』 『井華集』 『続一夜松』 図書= 高浜虚子編 編『几董全集』ほととぎす発行所〈俳諧叢書 ……

高井几董が亡くなってから、234年と345日が経過しました。(85814日)

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