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植松茂岳(うえまつしげおか)

国学者[日本]

1876年 3月20日 死去享年82歳

幕末期・明治前期の国学者。名古屋(尾張)藩士小林和六常倫の次男。10歳で父を亡くす。本居宣長の高弟で板木師の植松有信の内弟子となり,有信没後の文化13(1816)年植松家の養嗣子となる。天保6(1835)年名古屋藩校明倫堂に赴任,8年典籍見習次座に昇進。藩主徳川慶勝の侍講にまで昇るが,安政5(1858)年主君と共に安政の大獄に連座,文久2(1862)年まで閉居。慶応3(1867)年,明倫堂国学教授。金沢文庫本『続日本紀』校合御用,『尾張志』選述,熱田文庫建設など藩の文教事業に大きく貢献し,また尾張尊皇の士を多く育てた。<参考文献>『明倫堂典籍秘録』(名古屋叢書1巻),『名古屋市史人物編』1巻

植松茂岳が亡くなってから、148年と245日が経過しました。(54302日)

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