植中直斎(うえなかちょくさい)
日本画家[日本]
1977年 8月12日 死去享年91歳
本名直治郎。明治35年より36・7年にかけて、一時養子縁組により戸田姓を名乗るが、再び旧姓に復した。明治18年10月1日奈良県天理市に生れ、はじめ(明治35年頃)大阪の画家深田直城の画塾に学んだ。日本美術協会大阪支部展「雲の中の西王母」(明治35年)、明治36年春日本美術協会展「具足飾図」(宮内省買上)、同年同協会歴史風俗画展「那須与一」等の作品があり、専ら歴史風俗画を描いた。明治38年上京し橋本雅邦に師事した。明治40年東京勧業博覧会に「念誦ノ図」(二等賞)を出品、また同年第1回文部省美術展覧会には「落日」(三等賞)を出品した。翌41年鎌倉に居を定め、田中智学師に師事日蓮宗教義及国文学を専ら修めた。しかし大正元年に至り偶々病を得て大阪に帰省し、ついで西宮で療養生活を送った。大正2年山元春挙の門に入り、文展に出品した。大正8年京都帝国大学教授沢村専太郎に師事し、大学研究室教務用絵画の嘱託を受け、傍ら東洋絵画史及美学の聴講をし、またこの年日本自由画壇に入り、大正13年退会した。昭和に入ってからは帝展に出品、専ら宗教画を描いた。(引用元・日本美術年鑑 昭和53年版)
植中直斎が亡くなってから、47年と58日が経過しました。(17225日)