仙厓義梵(せんがいぎぼん)
僧・臨済宗、画家[日本]
(天保8年10月7日没)
1837年 11月4日 死去享年88歳
仙厓 義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日))は江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。
禅味溢れる絵画で知られる。
概略=
寛延3年(1750年)農民井藤甚八の子として美濃国武儀郡で生まれた。
11歳の頃清泰寺において臨済宗古月派の法を嗣ぐ空印円虚(1704-1784)について得度し、臨済宗の僧となった。
19歳の時、武蔵国久良岐郡永田(神奈川)の東輝庵に住する月船禅彗(1702-1781)のもとで修行をはじめ、その後印可を受け、月船が示寂した天明1年(1781年)32歳のとき同寺を出て行脚の旅に出る。
39歳より博多の聖福寺の盤谷紹適の法嗣となる。
住持を23年務め、一応の引退となる。
88歳で遷化するまでに、多くの洒脱・飄逸な絵画(禅画)を残す。
天保8年(1837年)10月7日遷化、のち天保12年(1841年)仁孝天皇より「普門円通禅師」の諡号を賜る。
本格的に絵を描き始めたのは40代後半になってからと見られている。
仙厓の絵は生前から人気があり、一筆をねだる客が絶えなかった。
83歳の時、庭に「絶筆の碑」を建て断筆宣言をしたが結局やめられず、没年まで作品は残っている。
昭和初期に「仙厓ブーム」ともいえるほど仙厓の研究熱が高まった時期があり、多くの作品が各地から発見され、逸話や論説が乱立した。
仙厓の絵のコレクターとして出光佐三が知られ、そのコレクションは東京の出光美術館に収蔵されている。
2022年5月21日永青文庫「 ……
仙厓義梵が亡くなってから、187年と27日が経過しました。(68329日)