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青山義雄 氏(あおやまよしお)

画家[日本]

1996年 10月9日 死去享年102歳

青山 義雄(あおやま よしお、1894年1月10日 - 1996年10月9日)は、洋画家。
フランスに渡り、アンリ・マティスに才能を認められ、生涯、親交を結んだ。
美術評論家・コレクターとして知られる福島繁太郎とは家族ぐるみの交際をした。
梅原龍三郎に請われて国画会会員となる。
第1回佐分賞、中村彝賞を受賞。
神奈川県立近代美術館などに作品が収蔵されている。
経歴[編集] 1894年(明治27年)神奈川県横須賀市に生まれる。
1903年(明治36年)父の転勤に伴い北海道根室市に引っ越す。
1921年(大正10年)27歳でフランスに渡りパリに居をかまえる。
秋、サロン・ドートンヌに初入選。
1925年(大正14年)喀血し、南フランスに移る。
1926年(大正15年)アンリ・マティスに見い出され、親交を結ぶ。
1930年(昭和5年)第8回春陽会展に出品し、昭和洋画奨励賞を受賞。
1936年(昭和11年)42歳で梅原龍三郎に請われて国画会会員となり、第11回国画会展[1]に滞欧作品27点を発表、評判を呼ぶ。
1937年(昭和12年)第1回佐分賞[2]を受賞。
1952年(昭和27年)58歳で再度フランスへ渡る。
1986年(昭和61年)92歳で帰国。
1993年(平成5年)中村彝賞を受賞。
1996年(平成8年)膀胱癌のため102歳で死去。
来歴[編集] 日清戦争が勃発した1894年(明治27年)、青山は神奈川県横須賀市に生まれた。
海軍省書記官を勤める父の仕事に従い、9歳の時に北海道根室市に引っ越した。
以来、北海道の大地 ……

推定関連画像

青山義雄さんが亡くなってから、27年と291日が経ちました。(10153日)