三浦梧門(みうらごもん)
絵師・南画家[日本]
(万延元年10月8日没)
1860年 11月20日 死去享年53歳
三浦 梧門(みうら ごもん、文化5年1月4日(1808年1月31日) - 万延元年11月9日(1860年12月20日))は、江戸時代後期の長崎の南画家。
鉄翁祖門・木下逸雲と共に長崎三大家とされる。
諱は惟純、字を宗亮。
通称は総助もしくは惣吉。
梧門は号で別号に秋声・荷梁・香雨など。
略伝=
長崎本興善町乙名の三浦総之丞の長男。
先祖は平戸藩家臣で代々興善町乙名を任される。
号の梧門は邸内に植えた梧桐(梧桐)の美しさを愛でたことに由来するという。
梧梧門は本興善町の乙名から長崎会所目付役となっている。
画は最初、唐絵目利の渡辺秀実・石崎融思に学び、その後、舶載される中国の古書画・名品に臨んでその画法を独学した。
米法山水を得意とし作品数も最も多く、中でも「雪景山水図」が目立つ。
人物図・花鳥図も能くし、他に土佐絵風の画も見られる。
特に「鍾馗図」は、山水画に次いで人気があり、病気除け、平癒に効果があると評判で、梧門も好んで描いた。
更に伊藤若冲の「乗興舟」のような正面摺り(正面版)の花卉図も確認されており、梧門の多様な作画と当時の長崎文化の成熟ぶりが伝わってくる。
享年53。
墓所は本蓮寺。
門弟に伊藤深江がいる。
代表作=
「鍾馗禳魔図」 長崎歴史文化博物館蔵 1858年(安政5年)
三浦梧門が亡くなってから、164年と0日が経過しました。(59901日)