灰谷健次郎 氏(はいたにけんじろう)
児童文学作家[日本]
2006年 11月23日 死去食道がん享年73歳
灰谷 健次郎(はいたに けんじろう、1934年(昭和9年)10月31日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、日本の児童文学作家。
経歴=
兵庫県神戸市兵庫区の貧しい家庭に生まれ、働きながら定時制高校商業科を卒業。
大阪学芸大学(現・大阪教育大学)学芸学部卒業後、小学校教師を務める傍ら児童詩誌『きりん』の編集に携わる。
なお、教師時代の教え子に歌手のもんたよしのりや 絵本作家のあかさかかなたがいる。
1962年(昭和37年)、小説『笑いの影』を部落解放同盟から差別小説とされて糾弾を受ける(後述)。
その後、1967年(昭和42年)に長兄の自殺、1968年(昭和43年)には実母の死去という事件が重なり、自分が教師であることの意味を見失い、1971年(昭和46年)に、17年間勤めた小学校教師を退職し、沖縄やアジア各地を放浪。
1974年(昭和49年)『兎の眼』で児童文壇にデビューする。
『兎の眼』はミリオンセラーとなった。
二作目となる『太陽の子』も50万部を超えている。
『兎の眼』はNHK少年ドラマシリーズでドラマ化された。
壇ふみ主演で映画も制作されている。
『太陽の子』は『太陽の子 てだのふあ』のタイトルで映画化された。
その後、多くの小説、童話、エッセイを出版。
童話の『ろくべえまってろよ』は教科書に収録された。
淡路島に移住、のち沖縄に転居をした。
執筆活動と並行して、NHKなどへのテレビ出演、全国での講演活動を行う。
2006年(平成18年)11月 ……
灰谷健次郎さんが亡くなってから、17年と364日が経ちました。(6573日)