田原節子 氏
エッセイスト[日本]
(ジャーナリスト田原総一朗の妻)
2004年 8月13日 死去多臓器不全享年67歳
田原 節子(たはら せつこ、1936年(昭和11年) - 2004年(平成16年)8月13日)は、日本のアナウンサー、随筆家。
旧姓、古賀、村上(むらかみ)。
田原総一朗の2番目の妻。
ウーマンリブ運動家でもあった。
歌手の古賀さと子は実妹。
来歴・人物=
東京生まれ。
早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。
アナウンサーとして17年、その後はCMプロデューサーとして10年勤務した。
その間、一度目の結婚と出産を経験するが、1976年、「容色が衰えた」としてアナウンス室からの配置転換命令を受ける。
しかし、納得できずに提訴。
勝訴する。
総一朗との共著『私たちの愛』(講談社)によれば、局内ではもともとウーマンリブに関わっていた事が問題となっていたとのこと。
CM制作部に異動後はプロデューサーとして活躍。
1980年代に作った民放連の啓蒙広告「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」のコピーは有名となる。
節子の次女・江川綾子によれば、節子は「何でも手当たり次第に読みたがり、めいっぱい知りたがり、心から出会いを喜び、不条理に対してはとことん怒りまくる。
そんなよく笑い、よく怒る、生命力の塊のような面白い人」であったという。
総一朗とはダブル不倫の関係だったが、総一朗の妻・末子が1983年にがんで死去。
これを受け、1989年に結婚。
交際当時はお互いの家庭を壊さないように不倫関係を続けた。
田原事務所代表を務める。
1998 ……
田原節子さんが亡くなってから、20年と100日が経ちました。(7405日)