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成田豊 氏

電通元社長・元会長[日本]

2011年 11月20日 死去享年82歳

成田豊 - ウィキペディアより引用

電通の社長、会長を歴任し、株式の東証1部上場を果たした成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日、死去した。82歳だった。葬儀は親族のみで行う。 東大法卒。1953年電通入社。地方紙向けの広告を集める地方部に配属され、新聞広告畑を歩んだ。93年社長、2002年に会長就任。04年からは最高顧問兼電通グループ会長を務めた。  社長時代には、地域子会社設立や海外展開、東証1部への株式上場、新社屋の建設、広告のデジタル化対応などを推進、電通を世界的な広告代理店に押し上げた。 81年のローマ法王来日や98年の長野オリンピック開催、02年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓大会の運営にも尽力。大学での講座開設などを通じて中国の広告業育成にも貢献した。09年に旭日大綬章を受章した。(2011/11/21-08:15)

成田 豊(なりた ゆたか、1929年9月19日 - 2011年11月20日)は、日本の実業家。
大手広告代理店・電通グループの会長、ならびに電通の最高顧問を務めた。
2010年6月より電通名誉相談役。
1993年から長年にわたり電通のトップに君臨した。
1929年、日本統治下の忠清南道天安郡(現在の天安市)生まれ。
父清臣は石川県出身・朝鮮総督府鉄道勤務。
母ソメは佐賀県出身。
従来、京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)生まれと一般に言われてきたが、正確な出生地は天安(ソウルの南約100kmにある街。
本人の告白によれば、細かな説明をするのが面倒で京城生まれと言ってきたという)。
ついで、羅州郡古幕院(光州の近く)、永同郡黄澗(大田から約60kmにある街)と鉄道員の父親の転勤に従って朝鮮半島を転々。
小学3年のとき京城へ。
終戦後日本へ渡る。
佐賀県にて青年期を過ごす。
旧制京城中学校3年(1945年)まで京城で育つ。
梶山季之(小説家)が京城中学時代の友人。
中学3年から海軍兵学校予科に合格し内地に一人入学したが直ぐに終戦。

なりた-ゆたか 1929-2011昭和-平成時代の経営者。昭和4年9月19日朝鮮忠清南道生まれ。昭和28年電通入社。東京本社新聞雑誌局長,専務取締役などをへて,平成5年社長,14年会長。16年には電通最高顧問,電通グループ会長となる。同年レジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。21年大韓民国政府より修交勲章光化章を受章。22年電通名誉相談役。日本広告業協会会長,経済同友会副代表幹事,政府・観光立国推進戦略会議メンバーなどをつとめた。平成23年11月20日死去。82歳。東大卒。 (引用元 コトバンク)

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