武井保雄 氏(たけいやすお)
武富士創業者[日本]
2006年 8月10日 死去肝不全享年77歳
武井 保雄(たけい やすお、1930年〈昭和5年〉1月4日 - 2006年〈平成18年〉8月10日)は、日本の実業家。
消費者金融・貸金業武富士の創業者であり、2003年まで同社の会長を務めた。
来歴・人物=
1930年(昭和5年)、埼玉県深谷市で父・武井濱次郎、母・まさの元に生まれた。
実家は生活雑貨などを扱う小さな商店で、ほとんど母が一人で切り盛りしていた。
小学3年生の頃、父親が近所の女性と大阪に駆け落ちした。
1944年(昭和19年)に明戸国民学校の高等科を卒業すると、熊谷で陸軍の整備員となったが、間もなく敗戦を迎えた。
戦後は、日本国有鉄道職員として大宮駅に勤務した後、東京でビルサッシの工事を営んでいた叔父を頼って上京。
建設業、野菜の行商など職業を転々とした。
その後、公営住宅の主婦を相手に「団地金融」と呼ばれる高利貸し業を始めた。
1966年(昭和41年)に、武富士の前身である「富士商事」を板橋区蓮根に設立した。
2003年(平成15年)12月、ジャーナリスト宅盗聴事件に関与したとして電気通信事業法違反で逮捕され、武富士会長を辞任した。
2004年(平成16年)11月、懲役3年 執行猶予4年の有罪判決を受ける。
2006年8月10日、肝不全のため76歳で死去した。
長男は武富士の武井俊樹元専務、次男は同社の武井健晃副社長。
相続税裁判=
生前買収したオランダ法人に自己の保有する武富士株を売却、このオランダ法人の株を当時香港に在住していた長男の武井俊樹 ……
武井保雄さんが亡くなってから、18年と103日が経ちました。(6678日)