鍵田忠兵衛 氏(かぎたちゅうべえ)
政治家、槍術家[日本]
2011年 12月16日 死去脳溢血享年55歳
鍵田 忠兵衛(かぎた ちゅうべえ、1957年(昭和32年)8月6日 - 2011年(平成23年)12月16日)は、日本の政治家。
奈良県議会議員、奈良市長、衆議院議員(自由民主党所属)を歴任。
剣道、長谷川英信流居合を修行し、宝蔵院流槍術第20世宗家でもある。
奈良市長、衆議院議員を1期務めた鍵田忠三郎の次男。
略歴=
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(2019年9月)
1976年
3月 - 奈良育英高等学校を卒業。
4月 - 国士舘大学政経学部へ入学。
1980年
3月 - 同大学を卒業。
4月 - 近鉄百貨店へ入社。
1983年
3月 - 鍵田忠三郎事務所に入所。
12月 - 衆議院議員に当選した父、鍵田忠三郎の公設秘書となる。
1987年9月 - 中曽根康弘の私設秘書となる。
1989年11月 - 父、忠三郎の秘書となる。
1995年4月 - 奈良県議会議員選挙に当選。
以来、県議を3期9年務める。
2004年9月5日 - 奈良市長選挙に大川靖則市長の対立候補として無所属で立候補し当選。
2005年
6月24日 - 奈良市長辞職。
7月31日 - 奈良市長選挙で落選。
9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙で自民党から立候補し、当選。
2006年
9月8日 - 自民党総裁選で麻生太郎の推薦人名簿に名を連ねる。
10月 - 志帥会に入会。
2009年
5月13日 - 奈良市長選に立候補予定のため、河野洋平衆議院議長に衆議院議員辞職願を提出し、同日午 ……
鍵田 忠兵衛氏(かぎた・ちゅうべえ=自民党元衆院議員、元奈良市長)16日午前、脳いっ血のため滞在先の韓国・済州島で死去、54歳。奈良市出身。自宅は同市北御門町20の1。葬儀は19日午前11時から同市佐保台1の3574の4、ならやま会館で。喪主は妻美智子(みちこ)さん。 中曽根康弘元首相の秘書などを経て、2004年から奈良市長に。05年衆院選で当選(比例代表近畿ブロック)後、09年に奈良市長選に立候補したが、落選。11年4月に奈良県議選で当選した。(2011/12/16-18:09)
鍵田忠兵衛さんが亡くなってから、12年と341日が経ちました。(4724日)