桂川寛 氏(かつらがわひろし)
画家[日本]
2011年 10月16日 死去肺炎享年88歳
桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 2011年10月16日)は、日本の画家。
戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる。
また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した。
その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた。
経歴=
1924年、北海道札幌市生まれ。
1937年、札幌商業学校入学。
在学中より北海道美術協会主催の道展に入選。
卒業後、札幌気象台に勤務。
1948年、上京。
多摩美術専門学校入学。
1949年、勅使河原宏、関根弘、瀬木慎一、安部公房らが結成した「世紀の会」に参加。
同年、関根弘の第一詩集『沙漠の木』の表紙絵を担当。
扉絵は安部公房。
挿絵を勅使河原宏も描いた。
この頃、多摩美術専門学校を中退。
1950年、第2回読売アンデパンダン展に「開花期」を出品。
安部公房、勅使河原宏らの人民芸術家集団にも関わる。
1952年、前衛美術会(1947年に井上長三郎、丸木位里、吉井忠らが結成)に入会し、小河内ダム建設反対運動の山村工作隊の文化工作隊として、山下菊二らと小河内村に2ヶ月滞在。
山下菊二らとルポルタージュ絵画制作。
同年、美術家平和懇話会主催の第1回平和美術展に出品。
1953年、日本美術会主催の第6回日本アンデパンダン展に「小河内村」を出品。
中村宏、河原温、池田龍雄、福田恒太、山下菊二らの青年美術家連合結成に参 ……
桂川 寛氏(かつらがわ・ひろし=画家)16日、肺炎のため死去、87歳。札幌市出身。葬儀は近親者で行う。喪主は装丁家で長男潤(じゅん)氏。 安部公房、勅使河原宏などと共に「世紀」などに参加し、戦後の前衛芸術運動で活躍した。ダム建設反対運動に参加し、これを題材に作品化するなど、「ルポルタージュ絵画」の先駆としても知られる。(2011/10/19-12:04)
桂川寛さんが亡くなってから、13年と37日が経ちました。(4785日)