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吉国一郎 氏

プロ野球コミッショナー、元内閣法制局長官[日本]

2011年 9月2日 死去肺炎享年95歳

吉國 一郎(吉国 一郎、よしくに いちろう、1916年9月2日 - 2011年9月2日)は、日本の商工・法制官僚。
位階は正三位。
内閣法制局長官。
第9代プロ野球コミッショナー。
神奈川県出身。
来歴= 旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学卒業。
官僚時代= 1940年、商工省入省。
同期に熊谷典文、国井真、小島慶三、加藤悌次(鉱山局長)等。
戦後は新制通商産業省から出向で内務省解体後の総理府において、主に法令審査畑を歩む。
法制局長官総務室主幹、法制局第三部長、内閣法制局第一部長、内閣法制次長等を歴任。
法制局長官= 1972年、第1次田中角榮内閣の下において内閣法制局長官に就任。
その後、田中角栄・三木武夫の2人の首相に合計4年半仕えた。
1973年6月28日の参議院における政府参考人答弁では、 「国家の形態を君主制と共和制とに分けまして、わが国がそのいずれに属するかということがまず問題になるわけでございますが、公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制でないことはまず明らかであろうと思います。
それでは、君主制をさらに専制君主制と立憲君主制に分けるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう国家でございます以上、立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思います。
もっとも、明治憲法下 ……

吉国 一郎氏(よしくに・いちろう=元プロ野球コミッショナー、元内閣法制局長官)2日午前11時、肺炎のため東京都渋谷区の自宅で死去、95歳。横浜市出身。葬儀は8日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長男兼一(けんいち)氏。 89年に第9代プロ野球コミッショナーに就任し、歴代最多の3期9年間務めた。94年には全日本野球会議を発足させ、プロ・アマが協力して野球振興を進める体制づくりに尽力。フリーエージェント(FA)制度、逆指名制などドラフト制度改定の他、日本人選手の米大リーグ進出に伴う日米選手契約協定の見直しを進めた。99年に特別表彰で野球殿堂入りした。 (2011/09/02-19:30)

吉国一郎さんが亡くなってから、14年と204日が経ちました。(5318日)

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