石橋政嗣 氏(いしばしまさし)
元政治家、元 日本社会党書記長[日本]
2019年 12月9日 死去老衰享年96歳
石橋 政嗣(いしばし まさし、1924年〈大正13年〉10月6日 - 2019年〈令和元年〉12月9日)は、日本の政治家。
佐世保地区労働組合会議議長、長崎県議会議員、衆議院議員(12期)、日本社会党書記長、日本社会党委員長などを歴任した。
来歴=
生い立ち=
日本領である台湾礁渓庄にて、台湾総督府官吏の石橋政八郎の長男として生まれる。
台北一中(現・台北市立建国高級中学)を経て、台北高等商業学校(現・台湾大学)に進学する。
しかし、太平洋戦争の戦況が悪化すると、学生の徴兵猶予制度は廃止され、石橋も1944年に高等商業学校を繰り上げ卒業させられ、軍隊に編入された。
その後、熊本陸軍予備士官学校に入学し、1945年に見習士官となったときに終戦を迎えた。
最終階級は陸軍曹長。
1946年、仕事を求めて、長崎県の佐世保市に出た石橋は、同郷の人物の紹介で、進駐軍のための「勤労奉仕隊」の一員となった。
現地の労働者の中で最も学歴の高かった石橋はやがて、労働者の代表と見なされるようになり、21歳で舎監に選ばれた。
1947年には基地内に労働組合を結成し、その書記長となった。
政治家として=
1951年に長崎県議会議員に当選。
社会党分裂後は左派社会党に属し、1955年に旧長崎2区から立候補して、衆議院議員に当選した。
党内では、和田博雄派(和田の死後は勝間田清一派)に属した。
その後、石橋は防衛問題で頭角を現し、1960年の日米安保条約の改定に際しては、岸信 ……
石橋政嗣さんが亡くなってから、4年と348日が経ちました。(1809日)