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谷川和穂 氏(たにかわかずお)

政治家、元自民党衆議院議員[日本]

(法相や防衛庁長官などを歴任)

2018年 6月8日 死去心不全享年89歳

谷川和穂 - ウィキペディアより引用

谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - 2018年6月8日)は、日本の政治家。
位階は正三位。
衆議院議員(12期)、法務大臣(第49代)、防衛庁長官(第41代)などを歴任した。
氏名の戸籍上の正式表記は「穂」が旧字体の「谷川 和穗」。
父は衆議院議員を務め、広島東洋カープの設立に尽力した谷川昇。
来歴= 広島県賀茂郡西志和村(後の志和町、現:東広島市)生まれ。
1953年慶應義塾大学法学部卒業。
1956年慶應義塾大学大学院政治学研究科修士課程修了。
1954年ハーバード大学大学院自治行政学へ留学。
1955年ミネソタ州Gustavus Adolphus College助教授。
1958年、脳出血により急逝した父・谷川昇の地盤を引き継ぎ、第28回衆議院議員総選挙に旧広島県第2区から無所属で立候補。
全国最年少の27歳で初当選を果たした(当選同期に金丸信・安倍晋太郎・倉成正・斎藤邦吉らがいる)。
当選後、自由民主党に入党するが、1960年の第29回衆議院議員総選挙では次点で落選。
谷川の選出選挙区であった旧広島2区は、自民党の池田勇人(1976年以降は娘婿の池田行彦)や中川俊思(1976年以降は娘婿の中川秀直)、増岡博之、松本俊一、日本社会党の森井忠良ら大物議員がひしめく全国有数の激戦区であり、谷川も1960年の落選以来、計3回の落選を経験している。
1963年の第30回衆議院議員総選挙では、池田勇人に次ぐ得票数2位で返り咲きを果たした。
1966年、文部政務次官に就任。
同年10月、フランス ……

谷川和穂さんが亡くなってから、6年と166日が経ちました。(2358日)