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古尾谷雅人 氏(ふるおやまさと)

俳優[日本]

2003年 3月25日 死去自殺享年45歳

古尾谷 雅人(ふるおや まさと、1957年〈昭和32年〉5月14日 - 2003年〈平成15年〉3月25日)は、昭和から平成初期の日本の俳優。
本名は古尾谷 康雅(ふるおや やすまさ)。
神奈川県川崎市中原区出身。
身長188cm。
正木ルーム(有限会社ビッグアンドエム内で設けられた芸能事務所)に所属していた。
妻は女優の鹿沼えり。
息子の古尾谷雅人 (2代目)(旧芸名:髙藤疾土)、娘の水野快令も同じく役者。
来歴・人物= 生い立ち= 川崎市の旧家の子として誕生するも、幼少時に両親の離婚による生母との生別。
その後、父が迎えた継母との不和に苦悩した少年時代を送る。
都内の高校卒業後、靴メーカーに就職したが、20歳で劇団ひまわりに入団、演劇活動開始。
ロマンポルノ俳優として= 初期は本名の古尾谷康雅名義で活動。
俳優デビューは日活ロマンポルノ、特に社会派ミステリーや耽美的な作風で初期のロマンポルノ人気を支えた田中登監督作品に多く出演し、屈折した青年像を演じた。
デビュー作『女教師』(1977年、監督は田中登)では主役の女教師をレイプする不良中学生役。
なお、田中とは『人妻集団暴行致死事件』(1977年)、『丑三つの村』でも組んだ。
この頃、にっかつ所属だった鹿沼えりと映画で共演、後に結婚している。
一般作の俳優として= 一般作進出は、1979年のフジテレビドラマ『二人だけの儀式』だが、本格的進出は1980年の映画『ヒポクラテスたち』(監督・大森 ……

古尾谷雅人さんが亡くなってから、21年と242日が経ちました。(7912日)

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