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豊田正子 氏(とよだまさこ)

作家[日本]

2010年 12月9日 死去閉塞性黄疸享年89歳

豊田正子 - ウィキペディアより引用

豊田 正子(とよだ まさこ、1922年11月13日 - 2010年12月9日)は、日本の随筆家。
来歴・人物= 東京本所(現・墨田区)の貧しい職工の家に生まれ、四つ木(現・葛飾区)で小学生時代を過ごした。
小学4・5年生の頃、鈴木三重吉の綴方指導の影響を受けた教師・大木顕一郎らの指導で書いた作文26篇が『綴方教室』に収められて刊行されるとたちまちベストセラーとなり、映画化され、本人朗読によるレコードも発売された(その頃、すでに小学校を卒業して女工になっていた)。
『婦人公論』に創作を発表し、20歳を迎えた戦時中には中国視察に派遣され、『私の支那紀行 清郷を往く』(1943年)を発表した。
1945年の東京大空襲で弟を亡くす。
戦後、日本共産党に入り、36歳上で既婚の作家江馬修と夫婦同然の暮らしを始める。
1964年、自身の母を描いた長編『おゆき』を発表。
中国共産党と対立する日本共産党と決別し、文化大革命中の中国に渡行。
1967年、『文革礼讃の書』を刊行。
江馬がより若い音大生の天児直美と恋に落ちたため、細々と宝飾店で働き、そこで戦後知っていた女優・田村秋子と再会。
その死までを描いた『花の別れ』で1986年日本エッセイスト・クラブ賞受賞(その中で「共産党は貧乏人の味方だと思っていたがそうではなかった」と書いている)。
1989年、文壇人中国旅行を共にした高橋揆一郎によって豊田を描いたノンフィクション小説『えんぴつの花』が刊行される。

豊田正子さんが亡くなってから、13年と348日が経ちました。(5096日)

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