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松前重義 氏(まつまえしげよし)

科学者、教育者、東海大学 創立者[日本]

1991年 8月25日 死去享年91歳

松前重義 - ウィキペディアより引用

松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。
学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。
熊本県出身。
東海大学創立者。
内村鑑三を師とするクリスチャン。
戦前は逓信官僚として新体制運動に加わり大政翼賛会総務部長、戦後は逓信院総裁(逓信大臣・郵政大臣相当)、社会党右派の衆議院議員を務め、ソ連との友好親善に尽力した。
静岡市名誉市民。
来歴・人物= 熊本県上益城郡嘉島町生まれ。
合併前の大島村で村長を務めた松前集義が父である。
祖父松前熊太郎、曾祖父松前叶は熊本藩士。
小学5年生のとき熊本市に移った際、故郷の農村と違って夕方になると町中に一斉に電灯がともるのを見て美しさに驚き、これがのちに電気を専攻するきっかけとなった。
旧制熊本県立熊本中学校から熊本高等工業学校を経て、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業する。
抜山平一に師事した。
逓信省に技官として入省し、無装荷ケーブルなどを発明して通信技術の進歩に貢献した。
1937年(昭和12年)11月に『無装荷ケーブルによる長距離通信方式の研究』で東北帝国大学より工学博士の学位を授かる。
当時は社会の指導者として法学部出身者を最優先する風潮があり、技官より文系出身者を優位とみなす逓信省の組織構造にあたり、新体制運動へ傾倒するが、キリスト教思想家である内村鑑三が主宰す ……

松前重義さんが亡くなってから、33年と89日が経ちました。(12142日)