石原萠記 氏(いしはらほうき)
評論家[日本]
2017年 2月24日 死去享年94歳
石原 萠記(いしはら ほうき、1924年11月5日 -2017年2月24日)は、日本の社会主義運動家。
社会党右派のイデオローグ。
ソ連(ロシア)、中華人民共和国、韓国との文化交流、友好親善に努めている。
出版社の自由社社長。
日本対外文化協会副会長。
日本出版協会理事長。
STV-Japan取締役。
「萠」は俗字で、人名漢字を使用して「石原萌記」と表記されることも多い。
経歴=
山梨県甲府市百石町の染物店の二男として生まれる。
1944年、早稲田大学在学中に陸軍に応召。
1945年、中国・漢口の第6方面軍司令部参謀部で終戦を迎える。
1946年、上海から博多に復員。
その後、東洋大学史学科で考古学を学ぶ。
日本共産党員だった渡辺恒雄や河合武(河合栄治郎の長男)らと学生運動を行う。
日本共産党の影響下にあった「民主主義科学者協会」(民科)の歴史部会に出入りし、石母田正、藤間生大、松本新八郎ら共産党系歴史学者の研究に傾倒していた時期もあった。
1951年卒業。
学生時代から右派社会党の衆議院議員、三輪寿壮の下で革新運動を行い、卒業後は郷里の山梨県に入り、県議や古い党員を次々と除名して右派社会党山梨県連を再建。
衆院選出馬を準備していた。
河上丈太郎(元社会党委員長)とは、河上の長男・民雄が留学から帰国する際に書籍の整理を依頼されるほどの仲だった。
1956年、「日本文化フォーラム」の設立に参画(当初は事務局長、後に専務理事)。
1959 ……
石原萠記さんが亡くなってから、7年と270日が経ちました。(2827日)