恩地三保子 氏(おんちみほこ)
児童文学翻訳家[日本]
1984年 12月27日 死去享年68歳
恩地 三保子(おんち みおこ、1917年〈大正6年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉12月27日)は、日本の児童文学翻訳家。
略歴=
画家・恩地孝四郎の長女として東京市麹町区中六番町(現・東京都千代田区四番町)に生まれる。
1938年東京女子大学英文科卒業、同年7月師範学校中学校高等女学校教員免許状(英語)取得。
戦後、東京のアメリカ第8軍教育本部勤務や国際基督教大学美術史教授ヒューゴ・ムンスターバーグ(wikidata)の著作執筆の助手等を経て、明星学園高等学校講師を務めるなどして、1951年頃から英米文学の翻訳を始めた。
はじめ推理ものや少女ものを訳し、ローラ・インガルス・ワイルダーの作品の訳者として知られる。
堀辰雄・堀多恵子夫妻とも交際があった。
翻訳=
『死の月』(シャーロット・ジェイ、早川書房、世界探偵小説全集) 1955年
『杉の柩』(アガサ・クリスティー、早川書房) 1957年、のち文庫
『島っ子ボニイ』(J・フオックス、新潮社) 1957年
『満潮に乗って』(アガサ・クリスティー、早川書房) 1957年、のち文庫
『あたし,ジュディよ』(イーブ・ベネット、秋元書房) 1958年
『虹の中のサンドラ』(J・ランバード、新潮社) 1958年
『一日の悪』(トマス・スターリング(フランス語版)、早川書房、世界探偵小説全集) 1958年
『春のワルツ』(マデリン・レングル、新潮社) 1958年
『赤い鎧戸のかげで』(カーター・ディクスン、早川書房) 1960年、のち文庫
『居合わせた女』 ……
恩地三保子が亡くなってから、39年と329日が経過しました。(14574日)